最近、「子供の学力には母親の学歴の影響が大きい」という話しをよく聞きます。
“文部科学省管轄の研究所の調査結果”ということですから、信ぴょう性は高いと思います。その研究結果によると、母親の学歴のほか、親の所得も子供の学力との相関がみとめられるそうです。それ以外にも“母親の学力が子供に遺伝する”という研究結果もあるのです。
ここまで読んで、
- 「自分は絶望的だ」 と思いましたか?
- 「勉強しても無駄」 と思いましたか?
でも、よく考えてみてください。
子供の学力が親の学歴や所得や遺伝子で決まるのなら、“天才はつくれる”と思いませんか?
現実はそうではありません。それはなぜか?
そして、親の学歴や所得がそれほど高くなくても、子供の学力はその影響を超える可能性があるということをこれから説明します。
母親の学歴が子供の学力に影響があるって本当?
“母親の学歴が子供の学力に影響を与える”と言われる理由は、主に次の3つが考えられます。
父親よりも母親の方が子供と接する時間が長いから
子供は、一緒に過ごす時間が長い人からの影響を一番受けやすいのは当然です。常にそばにいて話しかけられたり行動を見たりするのですから。
逆に、いくら母親の学歴が高くても子供と一緒に過ごす時間が短ければ、それほど影響は与えないでしょう。
知性に関わる遺伝子は、母親から子供に受け継がれたときのみ機能するから
遺伝子が学力や知性に与える影響については、『学力は遺伝をするもの?』の章で詳しく説明しますが、アメリカの研究結果で“知性に関する遺伝子は母親から子に受け継がれたときのみ機能する”と言われています。
母親は自分の経験をもとに子育てをするから
学歴の高い母親は、“勉強することや良い大学に行くために努力することには価値がある”と考え、自分の成功体験を子供に伝えようとするし、学ぶための環境を整えたりバックアップをしようとすると考えられるからです。
遺伝的にも環境的にも、母親が子供に与える影響は大きい、というのは間違いないことのようです。
父親の学歴が子供の学力に影響があるって本当?
では、父親の学歴が子供の学力に影響を与えるかどうか?です。
調査結果から言えば、最終学歴が高い父親を持つ子供の方が、学力は高いという結果になっています。
ですが、子供と接する時間が母親よりも短いためか、父親の与える影響は、母親ほどではないということです。
いずれにしても、高学歴の親は子供の教育に対する関心が高く、母親は特に子供と一緒にいる時間が長いため、その教育に対する考え方が強く影響するということのようです。
むしろ父親の影響があるとするならば、所得額のほうかもしれません。
“親の所得が多い方が子供の学力は高い”というのは、単純に子供の学習にどのくらいのお金を投入するか?に直結するためでしょう。
ですがこれも、“塾に行ったから学力が向上した”とか、“家庭教師をつけたから学力が向上した”という単純な話ではないことは、誰もが感じていることだと思います。
学力は遺伝をするもの?
親から子へ遺伝するものはたくさんあります。
身長、体重は遺伝の影響が大きく、特に身長は90%遺伝の影響があると言われています。足の長さも80~90%は遺伝で決まるのだとか。
その他、体の特徴的なことは遺伝の影響が大きく、見た目や体質は親に似やすいということです。
神経質か、外交的か内向的か、あるいは勤勉さなどの「性格」については30%、「運動神経」については40%程度の遺伝確率です。
そして問題の「学力」については、およそ60%以上の遺伝率であり、性格や運動神経よりも遺伝の影響が大きいと言われています。
しかもそれらは両親から等しく遺伝するのではなく、“本能や情緒、自律神経の活動”については父親からの遺伝率が高いが、“記憶や思考、知性に関わる「大脳皮質」”は、そのほとんどが母親からの遺伝だと言われています。
そのため、“学力は母親からの遺伝の影響が強い”と言われるのでしょう。しかしその一方で“知能は遺伝で決まるものではない”という説を唱える学者もいます。
それくらい解明するのが難しい分野であり、特に学力に関しては「遺伝だからこうだ」と決めてしまうこと自体が、ナンセンスなのかもしれません。
なぜなら、たとえ遺伝的に優れていたとしても、その才能が発揮されるかどうかは“環境次第”であり、“親が高学歴だから何もしなくても成績優秀になれる”かといえば、決してそう言い切れるものではないからです。
親が低学歴だったときにありがちなことは?
ここまでは高学歴の親だった場合のお話しがメインでした。では、もしも親が低学歴だったとしたら?
低学歴だから、子供の学力を上げるのは無理なのか?
それは、親が子供の学習や学歴に対してどんな考えをもつかで大きく変わってきます。
たとえば親が自分の子供の学力や成績に関心をもち、応援する気持ちがあれば、勉強に取り組める環境を整えることができるのではないでしょうか。
逆に関心も興味もなければ、子供の“学習への興味関心”を刺激することはないかもしれませんし、応援や協力も期待できないかもしれません。
ちなみに、学力が高い子の親には、以下のような特徴があるそうです。
- 子供に規則正しい生活をさせる
- 読書に親しむ環境をつくっている
- 勉強を習慣にしている
- 子供への(学歴への)期待が高い
- 知的好奇心を高める働きかけをしている
- 子供に対する関心が高い
- 子供の学校へのかかわりが多い
そしてそれらを“子供の学力を上げるために無理をしてやっているのではない”うえに、“親自身も実践できることはしている”といいます。
これは、子供の学力向上につながる大きなヒントになると思います。
あなたが子供で、親からの遺伝子も環境も応援も期待できない場合は、自分でできることはやってみるのも一つの手だと思います。
“諦めてしまったら、そこで試合終了”ですから。
親が低学歴なら君は努力をするべき
“親の学歴が低いから、子供は勉強をしても無駄”ではありません。たとえ親の学歴が低くても「学力が高い子供」はいます。
人間の知性は、データや研究の結果がすべてではないのです。ましてや、遺伝で決まるものでもない。
たとえば医学博士である野口英世のお母さんは、勉強する機会を得られず45才まで読み書きができなかったそうです。
低学歴の親はもちろん、その子供自身も、多くは無意識のうちに「親が低学歴だから」というリミッターを設定してしまうのかもしれません。
リミッターを解除し、自分の無限の可能性を信じることができたらどうでしょう?たとえば学校の勉強はキライな人でも、好きなことなら進んで学べるのではないでしょうか?
まずは勉強に対して持っている“先入観”や“嫌悪感”を取り除き、楽しんでみましょう。
- 「でも...」
- 「塾に行かせてもらえなければ...」
- 「参考書を買ってもらえなければ...」
それらすべてが、あなたのリミッターなのかもしれません。やりたいことなら、どんな悪条件でもやれるのだとしたら。
まとめ
- 「子供の学力には母親の学歴の影響が大きい」
- 「母親の学歴のほか、親の所得も子供の学力との相関がみとめられる」
- 「母親の学力が子供に遺伝する」
などの研究結果はありますが、だからと言って母親の学歴が低いことで諦めてはもったいない。
子供には無限の可能性があるのです。
- 母親の学歴は子供の学力に影響があります。子供と接する時間が長いこと、知性に関わる遺伝子は母親から子供に受け継がれること、母親は自分の成功体験をもとに子育てをすることから、母親の影響は大きいと考えられています。
- 父親の学歴も子供に影響があります。ただし、直接与える影響は母親ほどではなく、所得額が子供の学力に影響を与えるという調査結果は出ています。
- 親から子へ遺伝するものはたくさんあります。子供の学力に対する親からの遺伝率は60%以上。そのほとんどが母親からの遺伝だと言われています。しかし、知能は決して遺伝で決まるものではないという、相反する説もあるのです。「遺伝だから」と決めつけることがナンセンスなのかもしれません。
- 親が低学歴だったとしても、子供の学力や成績に関心をもち、応援する気持ちがあればOK。そうでない場合は、子供自身が“学力の高い子をもつ親がやっていること”を実践してみるのもひとつの方法です。
- 親が低学歴なら、君は努力をするべき 「親が低学歴だから」というリミッターを外しましょう。無限の可能性を信じ、勉強に対する“先入観”や“嫌悪感”を捨てましょう。すべてのリミッターを外した後には、無限の可能性しか残りません。
中学生、高校生になると、試験の結果で順位を決められたり、振り分けられたりするようになります。早い人は小学生でもすでにそのような経験をしているかもしれません。
ある集団の中で、平均よりも上か下か、そんなランク付けに一喜一憂する日々かもしれません。
しかし、学校の成績だけで未来が決まるわけではありませんし、学歴や所得だけが幸せの条件ではないことは確かなのです。
でも、何かに興味がある、追求したい学問がある、なりたい職業がある....やりたいことがあるのならば、“母親の学歴”というリミッターを外して邁進すればいいのです。
たとえ遺伝がどうであろうが、これらの「学びたい欲求」に勝る動機はありません。まだやりたいことが見つからないのなら、それを見つけることが先決でしょう。
そして、夢はどんどん変わってもいいのです。子供のころから同じ夢を持ち続けなければいけないわけではありません。どんな夢でも、夢に向かって努力したり勉強したりしたことは、必ず財産になります。
大丈夫。決して無駄にはなりません。
人生は椅子取りゲームに例えられることもあります。それは、限られた数の椅子を奪い合う、人生をかけた非情なゲームだと思います。
私はもうすでに大人ですが、学ぶこと、働くことを考えるとき、誰かの椅子を奪ってでもやりたいことなのか?そんなことをふと考えしまうことがあります。
もしもあなたがその奪い合いに加わりたくないのであれば、“自分で自分の椅子を作る”という手もあるということを提案させてください。
もちろん、その椅子を作るには、やはり強い動機や学ぶ姿勢は不可欠だと思いますが...でも、きっとできます。
まずは「できない」というリミッターを外して...
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